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Night Surfing with Christian Fletcher_アクションカメラの写真術_(2344文字)

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これは今日の話ではないのだが、

きちんと書こうと思っていたので、ここにポストします。

私はNALU誌の取材を兼ね、

フィッシュゴッドことジャスティン・アダムスと夕陽サーフィングをして上がってくると、

遠くから「naki! naki!」と声が聞こえた。

その声の主はクリスチャン・フレッチャーで、

彼とはお昼頃にNALU用のインタビューと撮影を終えたところだった。

こうして取材相手がバッティングすることを業界用語で何と言うのかはわからないが、

フィッシュゴッドがクリスチャン・フレッチャーと出会った瞬間であった。

201505_ChristianF_Jastin_Adams_7136

クリスチャンはサンクレメンテ出身で、

ジャスティンはダナポイントだからどこかで会っていても良さそうだけど、

クリスチャンはジャスティンのことはもちろん、フィッシュゴッドも知らないのだそうで、

「へえ、フィッシュゴッドね」

そう言いながら懐疑的な顔、つまり唇を少し曲げて笑い、

さらによそ見をしながらフィッシュゴッドと握手していた。

魔王VS神という図式になるのだろうか。

201505_Christian_Fletcher_7140

ジャスティンはクリスチャンに会えて感動しきりな様子で、

ーー知らない人にはそう見えないだろうがーー

ボディアクションが少ない彼にしては十分なほど胸を伸ばしていた。

「あうー、クリスチャン・フレッチャーに会えて光栄だ」

「良かったね」

「うー、どうしてお前は(クリスチャンのことを)知っているんだい?」

そんな聞き方をしてきた。

「子どもの頃から知っているよ」

「うー、お前そんな歳か」

「そうだよ。今年50さ」

「いーう、やはり魚と野菜と米なのか」

話はジャスティンにしては珍しい話題ーー健康志向に及んだとき、

「hey naki撮るのか?」

クリスチャンが口をはさんだ。

ちょうどバックパックにGoProが入っていたので、

「撮れるけど、天気が悪いからもうすぐ真っ暗になるぞ」

「ヘヘ、波乗りは夜するものだぜ。誰もいないしな」

「それ、聞いたことがある。クリスチャンが夜サーフィングしているって、噂になっているからね」

「夜、いいぞ」

「俺は夜は好きでないな。まずは波が見えない」

「そりゃそうだ。夜だからな」

「見えないの?」

「そりゃ昼間みたいに見えないさ。当たり前のことを聞くなよ」

「じゃあサメは?」

「なんでサメの話になるんだ?」

「いや、夜はサメが補食するために岸に寄ってくるでしょ」

「ふーん。どうせ見えないから関係ないぜ」

「そうなんだ」

「パイプラインでもバリ(デザート岬のこと)でもかなり(夜に)やっているけど、

この通りぴんぴんしてらい。サメが(夜)来るなんて迷信だな」

「ふーん(私は釣り師だったので、サメが夜というか日没後と夜明け前に活発なのは知っている)」

「撮るのか撮らないのか?」

「撮るさ。もちろん」

「それがいい」

「ヘイ、フィッシュゴッド、明日また連絡するね」

「う、うー、またな」

そういうことになって、私はクリスチャンを、夜のサーフィングを撮ることになった。

DCIM100GOPROG0151558.

GoProなのでフラッシュはおろか、

夜撮ることができるさまざまな機能は限定されている。

まあ、魔界というか暗黒というイメージのクリスチャン。

妖逸なのが撮りたいから、闇の中に浮かび上がる彼はどうだろうか。

闇の中で、この雲があって、

クラシックな横からのアングルで、波の上の遙か高くを飛ぶクリスチャン。

そんなイメージができあがった。

けれど波乗りはモデル撮影のように、

「ここに立って、この格好で〜」とはできない。

特にGoPro(超広角)なので自分の前に来たものしか撮れない。

いつものようにあまり多くを期待しないでゲッティングアウトした。

DCIM100GOPROGOPR1129.

ISO感度を上げると、夜でも写真を明るくすることができる。

しかし像は荒れてしまう。

DCIM100GOPROG0041231.

しかもGoProの撮影ファイルはささやかなものであるから、

ダイナミックレンジというものを考えると極めて狭い範囲の画質作品になるだろう。

さらに言うと、あまり遅いシャッタースピードは使いたくない。

ブレブレになってしまい、被写体なのか、模様なのかがわからなくなってくる。

とすると露出補正はー2.0と最暗として、連写モードというセッティングとした。

少しして確認すると、もうすっかりと暗くて、液晶設定は見えなくなっていた。

とにかく撮り続ける。

こんなのが撮れていた。

街灯というか家の光がここまで明るくてありがたい。

けど、この時はそんなこともわからなかった。

(GoProにはプレイバックモニターがない)

クリスチャンの友だちビリーもセッションに参加して、

このバレルショットを得た。

想像力が湧き、なかなか好きな作品となった。

感無量。

夜、海で泳いでみての感想は、

「感覚が研ぎ澄まされる」

「よりシャープな記憶になる」

そんなことだろうか。

特にセット波が目の前で崩れて、

波の下深くに潜っていくと、

日中でも暗い波の底は漆黒の闇のようになる。

何も見えない。(日中でも目は閉じています)

その底魚がいるような位置で、

「ズドン」とインパクト音が聞こえ、その音の大きさによって、

すぐに海面に上がるのか、もう少し底で待つのかを判断していた。

そんな全ての波をいまだに鮮明に思い返せる。

精確すぎるほど精確なクリスチャンが好きな世界なのがよくわかった。

で、ファイル閲覧を進めていくと、こんな作品が映っていた。

まさに狙った、思い通りの作品が撮れていた。

クリスチャンに送ると、

かなり気に入ったようで早速RVCAに電送されてインスタグラムで公開されていた。

こうしてストーリーとなる写真もある。

今回学んだのは「未知なものを撮る」ということ。

さてさて、来たる6月27日の湘南T-SITEさんで私のフォトイベント

「海辺で使えるアクションカメラの写真術」を開催します。

ぜひともご来場ください。

 


クリスチャン・ワックとコーリー・コーラピント_グリーンルーム・フェスティバル_NATIONギャラクティック・レーザー_Marbles Catalog Photos_(1275文字)

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wave_9262

wave_9262

ゴージャスなカリフォルニアの朝。

DSC_7078

クリスチャン・ワック。

DSC_7205

コーリー・コーラピント。

201405_Corey2_7164

そんなCANVAS師弟コンビのセッションです。

最近よく書いているのだけど、

競争ではなく、協奏という美しい時間。

DSC_7125

クリスちゃんのヒール(ハングヒール)。

DSC_7178

コーリーのハングテン・アンド・ビヨンド。

Corey_7201

20点のインベーダー風のハンドアクション。

Andy_naki_banner

ここでグリーンルーム・フェスティバルの紹介を。

私は3m幅の特大作品を展示します。

そして土曜、日曜と会場内ブースにおります。

場所は正門(入場口)の右側にある赤レンガ倉庫2Fのアート、ギャラリーブース。

GRF15_Map

赤レンガ倉庫右側2F

こちらが内部の俯瞰図です。

ARTエリア配置図

 

友人たち、グリーンルーム・フェスティバルのみなさん、

そして横山泰介さん、豊田さん、Uskeさん、ハナイさん、野元さん、

スーザンにジェフにひさしぶりにお会いできます。

そしてブラ師匠ことブライアン・ベントの隣です。

みなさまにお会いできたら幸甚でございます。

IMG_1412

出発前に工場廻り。

デイブが全てのボードをグラッシング前にチェックしている。

IMG_1414

私の6チャンネル。

フィン職人ふたりが突然解雇されてしまって全く進んでいなかったのが、

私のボードなので、(そこまで精確さを必要としていないので)

ジェイソンに無理にお願いして最終工程まで進んだ。

IMG_1415

ジャーミーがサンディングして完成です。

明日完成で、明後日日本に向けて一緒に出発します。

IMG_1069

加えて出発前に完成したのがこのNATIONギャラクティック・レーザー。

D先輩に作った試作品があまりにも良さそうだったので、

直感的にオーダーしておいて良かった。

IMG_1070

このボードを興奮気味でチェックするLet’s Party社主宰スティーブ。

グレイトサーファー&ゴルフシングルの腕前で、宮崎駿さんが大好きの日本通。

IMG_1071

日本に持っていくか、

こちらで乗り込むのかを検討中です。

本が郵送されてきた。

IMG_1423

これはマーブルズさんというカリフォルニアでは新進気鋭の洋服ブランドで、

私も大好きなデザインがたくさんある。

今回このファッション撮影を担当したのが私。

私はファッション&ライフスタイルも撮るので、ここにその作品群を紹介します。

今回は前出したクリスちゃんをモデルで起用しました。

(クリスチャン・ワックはヴォーグ誌やTVコマーシャルにも出ている一流モデルでもあります)

このすばらしブランド『Marbles』についてのさらに詳しくは公式HPをご覧ください。

http://marbles-official.com/

marbles_Catalog_2015

ブログ読者みなさんのご存じの景色も多々あったと思います。

こちらで撮影されたい方、またはご旅行の際に私作品がご要望であれば大喜びで応じます。

ご家族写真やカップル、または親子写真はいかがでしょうか?

詳しくはメールをいただけたら応じます。

shop@nakisurf.com

それでは今日もNAKISURFにお越しくださってありがとうございました。

今日もみなさんのすばらしい日でありますように。

金曜日の夜到着する便で向かいます。

それではまた明日ここで!

 

 

三日月_サーフィング大好きな娘がくれた父の日_3つのお知らせ_幸せをくれるグリーンフラッシュ_(1018文字)

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201506_Arod_SanO_Moon_0521

 

201506_Arod_SanO_Moon_0521

この三日月の夜に何を想ったのか?

201506_SanO_Annie_0501

波乗りに夢中になったアニーは陽が沈んだくらいでは上がってこない。

それこそ真っ暗になって月が昇ってくるまでサーフしている。

サンオノフレを、

波に乗ることをたくさん楽しんでくれているのが父としてうれしい。

201506_Annie_SanO_0564

父の日ですね。

おめでとうございます。

201506_Vannessa_SanO_0528

フォードアーズにいつもいるヴァネッサ。

彼女のスタイル、とても好きなんです。

201506_Joel_SanO_0598

こちらはキャッチサーフのジョエル・マナラスタス。

マンライ道の師範であります。

#Nation #LosDos

【3つのお知らせ】

今週土曜日に開催となった湘南Tサイト蔦屋書店さんでのワークショップです。

 

150627_プロカメラマンNAKI_A5改訂

こちらはアクションカメラとスマートフォンでの写真の撮り方のコツから設定、

撮影後の加工、そして投稿までを公開してご教授いたします。

そしてスマートフォンを使ってインスタグラムに投稿、

それ(ら)をフェイスブックやツイッターなどに自動投稿していくやり方、

またフィルターやツールの使い方等々です。

こちらは予約制ではなかったのですが、

もうじき満員となりそうなので、ご予約はお早めにお願いします。

ちなみに私のインスタグラムとフェイスブックは

nakisurf で検索してみてください。

そして翌週(7月3日、金)からはトーキョーカルチャートbyビームスさんで個展を開催します。

2015_naki_Beams_DM

こちらは写真やアート作品の個展で、たくさんの新作をこちらで発表いたします。

そしてオリジナルサイズのクラシック写真集スタイルマガジンを鋭意製作中です。

これはオープニング日より限定数で販売し、ちょっとしたワークショップも計画中です。

NAKISURF夏のSeeaキャンペーンが開始しております。

今週はSeeaです。

期間内にキャンペーン対象表品をお買い上げいただくと、

もれなく世界一の日焼け止め『ココサンシャイン』をプレゼントいたします。

(売り切れてしまう商品が多いです。お早めに)

seea-coco-campaign2015

キャンペーン対象アイテムはこちらです!

http://www.nakisurfshop.com/SHOP/g14027/list.html

201506_Arod_GreenFlash_Sq_0476

最後はこの驚くべきグリーンフラッシュをみなさんと共有します。

とても珍しく、最近ちらりとしか見ることができなかったが、

ものすごいのが撮れました。

このグリーンフラッシュを見た人は幸運になれるそうです。

Good Luck!!

それではどうぞすばらしい日曜日となりますように!

すばらし波到来@千葉北_金曜日より“JUST HAPPINESS”個展の開催記念オープニングレセプション@TOKYO CULTUART BYビームス_(787文字)

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20150630_Chiba_7807

昨日はあれからもう一度海に行くと、

風はさらに強く、見渡す限り無人となっていて、

風波なのかうねりなのかはわからないが、

たまに来るセットは軽くオーバーヘッドを超えていた。

そして忘れられない1本を得た。

それはレフト波で、

堤防横のテトラ50m南から向こう側の堤防の根元まで、

軽く200mは乗れてしまったもので、

ゲッティングアウトは辛かったけど、

あんな波に乗れるのは運と縁と、

そしてこんなジャンク日のごほうびだと思う。

夜半風が止んだ。

20150630_Chiba_7807

昨夜は7(19)時に寝て2時に起きたのだが、

南風、つまり弱いオフショアだったので、

夜明けにカメラを持って波を見に行くと、

あれだけ押し寄せていたうねり群はすっかりとまとまり、

すばらしい波が来ていた。

20150630_Chiba_7764

なので、みなさんに今日波の良さをお伝えするべく、

今日はちょっとイレギュラーですが、早々にこのブログをアップします。

お近くの方はぜひ!

千葉北全体が良さそうです。

昨日もそうだったけど、

今日もNATIONソニックブームでニコリンサーフしてきます。

お会いできる方にHello!

(朝10時の追記)

波は7時くらいから北だか東風が吹いてきて、

8時には崩れ、9時には見る影もなくなってしまった。

「儚き波よ」

そんなことを思った朝です。

IMG_5133

【お知らせ】

7月3日より

NAKIPHOTO X BEAMS CULTUARTさんとのコラボ・フォトマガジン

“JUST HAPPINESS”が会場内のみで限定発売されます。

7月3日(金)18時よりTOKYO CULTUART BYビームスさんで、

“JUST HAPPINESS”個展を開催を記念して、

当日(今週金曜日午後6時より午後8時まで)オープニングレセプションを催します。

poster

東京都渋谷区神宮前3-24-7

Beamsさん本店3階です。

dm

 

 

幅3mの特大プリント、1.2mの大プリント、メタルプリント、

リサイクルプリント、ウッドプリント、フレームプリント、ジクレ−、

そしてプリントサイズや別メディアでの作品を展示販売いたします。

どうぞお誘い合わせの上お越しください。

お会いできますように。

【お知らせ】本日よりTOKYO CULTUART BYビームスさんで “JUST HAPPINESS”個展開催です。18時よりレセプションパーティにお越しください_ただいま準備中です_(774文字)

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NAKI_BEAMS_POSTER_SQ

 

NAKI_BEAMS_POSTER_SQ

おはようございます。

いよいよ本日よりTOKYO CULTUART BYビームスさんで、

“JUST HAPPINESS”個展をオープニングします。

この開催を記念しまして、

18時より20時までレセプションパーティを行います。

お時間が合います方はどうぞお越しください。

ビールとワインと、ペソズ音楽をかけてお待ちしております。

NAKIPHOTO X BEAMS CULTUARTさんとのコラボ・フォトマガジン

“JUST HAPPINESS”が会場内のみで限定発売されます。

3メートルの大判ジクレプリント、大判額装、メタルプリント、タペストリー、

ウッドプリント、インクジェット・マット、クラシカル額装、新作リサイクルプリント、

そして500円からという廉価版のミラーコートプリントまでご用意しまして、

サーフアートを所有していただく歓びをお伝えする展示販売というスタイルの個展です。

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TOKYO CULTUART BYビームス

東京都渋谷区神宮前3-24-7 3F

03-3470-3251

スクリーンショット 2015-07-03 8.20.29

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http://www.beams.co.jp/news/detail/5100

どうぞよろしくお願いします。

ということでカルチャートのみなさんと、楽しくおいしく設営中です。

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NAKISURFの出店&ペソズのアンテナストアとしまして、

オリジナルプリントのTシャツやSeea新作も展示(試着できます)しておりますので、

NAKISURFファミリーの方もぜひお越しください。

明日土曜日も11時から17時までおりますので、どうぞよろしくお願いします。

これから設営に戻ります。

また明日ここで!

今日もNAKISURFにお越しくださって、ありがとうございました。

Have a wonderful day!!

文字と、言葉を持たない日(LAマリブ、シルバーレイク、ベニス編)_#60

夜明けに見る夢_(732文字)

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201507_SanO_Truck_old_5094

201507_SanO_Truck_old_5094

こちらも真夏日になった。

思うのは、やはり日本の夏。

201507_Chiba_8109

今回の個展での滞在は鎌倉、都内、そして千葉は東浪見にいた。

千葉にいるときは、夜明け前にノースタイガー(北東浪見)を見に行く。

毎日のように雨だったが、晴れた日もあった。

この日も山岡さんが、波を見に行って戻ってきたところだった。

「おはようございます」

「おはよう〜」

「波、どうですか?」

「まあまあいいよ。ナンテー(南堤防=サウスジェッティのこと)がいいんじゃないかな」

「晴れそうですね。ナンテー楽しみです」

「暑くなりそうだね」

「自分もそちらでサーフしますね」

「りょうかい、じゃ!」

「では失礼します」

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山岡さんはサーフ歴が40年と長いが、

いまだにサーフィンへの情熱を燃やし続けていて、

こうして夜明け前、つまり午前4時少し前から波をチェックしている。

そのためには3時台には起きなくてはならないが、

それは簡単ではないことは知っている。

世の中古今東西、さまざまなローカルサーファーがいるが、

山岡さんは、おごらずいばらず、謙虚で丁寧で、安全で、

静かで優しいスタイルを30年以上も前から全うしている。

なので、

19歳だった私が彼の人となりをいまだに覚えているわけで、

目立たないがこれほどまでに偉大なサーファーが周りにいる。

201507_Chiba_North_Tiger_8244

この日のサウスジェッティは、

そんな漢(おとこ)の夢を受けたかのような波がブレイクしていた。

「夢は見るもの」

「朝起きること」

そんな大切なふたつのことを知った朝であり、そして波乗りだった。

山岡さん、ありがとうございます。

201507_Chiba_8200

この日、内陸が大雨で、沿岸は晴れ。

そんな条件で出現したこの夕焼けは夏そのもので、

自分の夢をかかげるには申し分のないほどの空の高さだった。

全米オープン・オブ・サーフィングで優勝する夢を見たか_ニュー(テンポラリー)オフィス_アートプロジェクト第一弾『Voyage(航海)』_(1412文字)

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IMG_HL_2369

 

スクリーンショット 2015-08-02 22.53.45

Photo by Zack

ジェイミーオブライエンのダブルキャッチサーフ。

ボードを2本使って波に乗る時代となりました。

それにしてもバックドアのこの景色。

インサイドの泡地帯付近を良く見ると、

激浅箇所の海面が盛り上がっていて、ここがどれだけ危険かがわかる。

201507_naki_4012

昨日USオープンで大原洋人くんが優勝してから、

なぜか電話やSMSでの「おめでとう」がたくさん届いた。

同じ祖国というだけだが、日本人サーファーとしては素直にうれしい。

ちょうど「コンテスト=お祭り」と例えて、競争だけではなく、

自分たちが愛していることへの尊敬や感謝だと、

ここで書いたばかりなのでさらにうれしく感じる。

少年時代からサーフコンペティションへ傾倒し、

自らも選手となり、

そして今は選手へのサポートを続けながら

メディア活動をするヨゲさん(カラーズマガジン)に電話すると、

「ヒロトやりました!」

感激のあまりに涙声になるほど喜んでいた。

日本のメディアでも大きく扱われていて、

それらを読むと、

この優勝は東京五輪の追加種目への加速事項となりそう。

 

スクリーンショット 2015-08-03 16.38.13

全米オープン(オブ・サーフィング)で日本人が優勝するということは、

夢にも思わなかったほどすばらしいこと。

201507_John_8728

夕陽と、ジョンon the 改造オディシーが撮れた。

それにしても美しい日でありました。

 

IMG_2370

金網バレルに入る私たち。

ジョン↑

兒玉さん↓

 

IMG_2372

それぞれのスタイルが出ておもしろい。

IMG_2378

サンクレメンテのニューオフィス(一時的なものだが)から見えるNAKISURF号と朝陽。

IMG_2201

この下にはサンクレメンテ・スケートボードパークがあり、

IMG_6703

ここはノアがスケートボードを始めたところでもあります。

さてさて、

金曜日の夜からアート・ウイークエンドと称して、

ジョンと一緒に「一枚のアートを完成させる」というプロジェクトにかかっていた。

IMG_2324

まずは、

ハンティントンビーチの内陸にあるウエストミンスター市に巨大な画材屋があり、

そこで「アーチ・ペーパー」と、木炭や消しゴム等を求めた。

IMG_2319

ジョンはキャッチサーフのアートディレクターで、

前職ではマーク・ゴンザレスのアシスタントをしていたり、

さらにはバリー・マッギーと親交があり、

さらには↓グレッグ・クレヨラ・シムキンをも収集しているアートマニア。

http://www.imscared.com/

IMG_2346

私はそのグレッグ・クレヨラ・シムキンの「サイ王」の木炭画に触発されて、

クジラが描きたくなり、

さらには、

「(自分が一番欲しい)キャンパーを背中に載せて、クジラのお母さんを捜す旅をする」

という母からはぐれてしまった赤ちゃんクジラと、

50歳になる男(私かも)が交流するストーリーが浮かび、どんどん描き進めていった。

IMG_2352

第一段階の完成↑

IMG_2369

ほぼ最終版。

「光の反射は影の中にもある」

そんなありがたい啓示があった。

それを描き足しての完成です。

タイムラプス動画を撮ったので、

完成までをコマ送りでご覧になってみてください。

絵を描くことって、とっても楽しく、

食べることを忘れてしまうほど没頭できるもの。

そして今までは一人で描いていたのだが、

達人ジョンの意見を取り入れてみたりもし、とても満足できるものとなった。

「週末が終わって作品が手に入った」というボーナス感覚もいい。

これは来年の個展に出品する第1品目となります。

どんな額装にしようかと、クジラの名前を思案中であります。

それではまた明日ここで!

 


NALU表紙&フィッシュ特集とBLUE誌巻頭コラム号同時発売日_終わらない夏とカリフォルニアの波_(1104文字)

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こんにちは、

今日はNALU誌の発売日。

私作品が表紙となって、

ちょうどいま、その表紙の人タイラーと祝杯を上げたところです。

かなりうれしそうにしている。

nalu_01

前号の『革命と逸脱のサーファー』号から続く、

鮮鋭なるT編集長の第二弾は『マジックボードの世界』号です。

http://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/63861

Nalu_

カバーストーリーとして、

私とタイラーとで、

フィッシュの話を4000字程度、8ページに渡り掲載していただいた。

サーフボード好きにはたまらない誌面なので、

ぜひとも目を通してみてください。

blue_02

さらにBLUE誌が同時発売されて、

こちらには、渾身の巻頭コラム「たまゆら」が掲載されております。

冒頭にはイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』より、

“これは天国か、それとも地獄か

ティファニーの宝石 優雅なその曲線美

鏡の天井 冷えたピンク・シャンパン

チェック・アウトは自由だが、誰もここを去ることは永遠にできない“

という詩を引用し、サーフィングの持つ魔力を描いてみました。

魂の人、柔らかいサーフスタイルで知られる戸井田編集長と、

パンクガール・ファンクラブ東京支部長のトロピカル松村さんとの合作濃艶編集号であります。

ケリー総特集と合わせまして、ぜひご覧になってください。

http://www.nakisurfshop.com/SHOP/30263/30274/list.html

ちなみに戸井田編集長はいま屋久島にいるようで、

これからはじまる東田トモヒロさんのライブ待ちだということです。

201509_Brian_Miller_5444

こちらは先週から届いている南半球からの南西うねりがあり、

それと重なるようにバハ・カリフォルニアを襲っているハリケーンからのうねりが入ってきた。

水温が摂氏25度と、

カリフォルニア記録を塗り替えている温かい波。

それに乗る至福。

201509_Brian_Miller_5451

しかもローワーズでコンテストをやっているから、ミラーズや岬は無人というすばらしさ。

ブライアン・ミラーとカメラを交換しながら乗った波の数々。

201509_naki_2883

Brian Miller Photography

ウエットスーツが完全にいらないカリフォルニアって、

長い年月をここで過ごしているけど、記憶にありません。

201509_SanO_5440

このハリケーンうねりも当分続きそうで、

内陸では40℃越えの酷暑日と合わさって、

「今年の夏は終わらない」そんな気がしてきた。

明日からまた夜明け3時間前に起床するモードに突入します。

どんな波に乗るのか、どんな海になるのだろうか。

どうぞすばらしい週末をお迎えください。

Have a great weekend!

 

The Fish God Awakensー真実のサーフィングの夜明け_(4000文字)

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THE FISHGOD AWAKENS

THE FISHGOD AWAKENS

 ブラーフマナ文献で説かれる宇宙の根本原理であるブラフマンを人格神として神格化したのがブラフマーである。インド北部のアブー山に暮らしていたとされ、ここにはブラフマーを祭る大きな寺院がある。神々の上に立つ最高神とされ、「自らを創造したもの」と呼ばれ、宇宙に何もない時代、姿を現す前の彼は水を創り、その中に一つの種子・「黄金の卵(ヒラニヤガルバ)」を置いた。ジャスティン・アダムスは、このサーフィング世界にどんな種子を置こうとしているのか。

 奇才ジャック・コールマンをして”フィッシュゴッド”と異名を取る彼は30歳になった。生まれ育ったダナポイント付近のドヒニー、そしてソルトクリークやサンオノフレでサーフし、その異様に長い手足を活かした奇妙なロングターンは見る者に不思議な感覚を植え付ける。

 そして今日もフィッシュゴッドはサンオノフレの椰子の木の後ろに隠れるようにして駐車して、崩れかける寸前のトヨタトラックのキャンパー・シェルの内側にその痩せた大きな体を折りたたむようにして座り、波を見ていた。

201504_Jastin_Adams_5205

——波はどうですか?

「まあまあだね。きっと入ったら楽しいのだけど、ペソズの子どもたちも来ていないし、ここでのんびりしているよ」

 

——そこにフィッシュゴッドが座っていると、瞑想しているみたいに映るのだけど、実際はどんなことを考えているのですか?

「波のリーディング。ここ(フォードアーズ)はトリッキーな波質だから、沖から入ってくるセット波を見て、崩れる場所から乗っていけるところを予測して、それが正しいかどうかを学習している。波は習慣的なときもあるし、そうでないときはどうしてそうなったかの理由を見つけている。波を起こした風の強弱を感じながら、その波を創った過去にまでさかのぼっていた」

 

——そうやって波を感じているのですね。

「そうだ。波を知り、その波を観ぜながらマニューバーを与えている」

 

——それらライディングに対して優越を与えますか?

「ストップメイキングセンス(意味づけを止める)ということだね」

 

——それはどういう意味ですか?

「サーフィングとはそれぞれの表現だ。それに対して他人が評価するのは最もナンセンスだ。なので(サーフ)コンペティションは俺にとって意味をなさないもののひとつだ」

 

——その思想の背景には何があるのですか?

「何もないさ。波に乗って風になる。そして風になって無心になる。そんなことさ。無心になろうとして無心になるわけではなく、大事なのは普段から煩悩を取り払い無心に生きることだ」

201505_Jastin_Adams_dog_6443

 

——あなたを見ていると欲しいものは少なさそうです。パドリングもゆっくりだし、波に対しても欲がなさそうで、あまり動かずに来た波に乗っているように見受けられます。

「それは波に対して聖者の道を見いだし、波長に委ねているからだろう。全てにおいての究極はミニマリズムだ。常にシンプルにしていくのさ。ボードだってあるものでいいし、なければボディサーフすればいい」

 

——フィッシュゴッドと言われていますけど、それはなぜですか?

「あれはジャック・コールマンが10年前に言い出したこと。俺がフィッシュばかり乗っているからそう言ったのか、または違うインスピレーションで彼がそう言ったのかは彼に聞いてみないとわからないけど、この愛称が浸透するまで10年かかった。言葉というのは呪縛みたいなもので、ひとたびその言葉を纏うと、その気持ちになってしまう。だからフィッシュゴッドと言われた日はフィッシュに乗ろう、そんな気持ちになるのは修行が足りないことでもあるのだろうね」

 

——ジャック・コールマンと旅していたと言っていたけど、それはどんなものでしたか?

「中米に行った。そのとき俺は大変な仕事が終わり、4500ドルを獲得した。これで当分サーフできると思っていた。そんなときジャックがやってきて、“ヘイ、スポンサーが見つかったから(サーフ)トリップに行こう。州外だからパスポートを持ってこい”そう言ってきた。気づいたら三ヶ月が過ぎていた。得たものは温かい海でサーフし続けた記憶と何分かの動画。戻ってきたらアパートは失っていたけど、そのおかげで今も毎日一日中サーフできる環境になった」

 

——どこでサーフしましたか?

「それはいろいろなところさ。コスタリカのサルサブラバ(デビルズダンジョン)にも行ったけど、間違ったボードで、それもすごい経験になったね」

 

——そのボードとは?

「ソフトトップ(キャッチサーフ7’オディシー)のフィンレス(笑)」

 

——あの激烈波にそれで入ったのは史上初だと思います…。

「でも乗れなかったからひどいめに遭っただけだね。(笑)

201508_Fishgod_Single_1593

——フィッシュゴッドのルーツはショートボードですか?

「どちらでも乗っていたけど、サーフィングとは周り、つまり他のサーファーの環境って大事なことさ。俺はロングボーダーたちのバイブスが好きで、波質がどちらともつかないときはロングボードのブレイク、うねりが大きくなれば硬い斜面でフィッシュに乗るのだろうか。または逆もある」

 

——何がフィッシュ(この場合はツイン版でのフィッシュ)の魅力ですか?

「短いレイルラインからクリエイトされるライディング・エモーションだろう。加速感、軸足から噴射するという感覚も悪くはないね。スクエアにターンをすると片側のフィンが海面を蹴立て、恐ろしいほどの勢いで波面を駆け上がっていく。そのエキサイトメントが魅力さ。フィンレスでは味わえない重力感覚がいい」

201505_Jastin_Adams_art_7033

——それではフィンレスはどうなのでしょうか?

「あの宇宙的な感覚。前に滑るだけでなく前後左右にも滑っていけるノー・トラクション。予期せぬ挙動が道となり、ときには自身を構成する要素となる。そう考えると、サーフィングの原理が内包されており、宇宙の万物の構成までがわかるときがある」

 

——それではサーフィングはフィンレスであるということですか?

「そうとも言えるし、そうとも言えない。サーフィングとは、本来は純粋な遊びとして誕生し、人間の持つエゴや社会システムへの適合の過程などで損傷しつつある人の気を再生させるものだと感じている。自己の心と身体を進化させ、または根源へ復帰させるものだ。サーフィングの理想は、利己を超えて本来の自己に立ち戻ること。この大自然に順応する永遠性から、悟りを得ることに至るという実践法がサーフィングの根底にあると思える」

 

——あなたはとても東洋的思想にあると思いますが、この南カリフォルニアのサーファーには珍しい考えというか、そのルーツはどこにあるのでしょうか。

「サーフィングという遊びのおかげで、海上にいる時間が増えた。自らの身体を浮かべて、彼方からの風からのメッセージである波に乗っていると、意識という非物質的な存在が増幅していくのさ。その意識はときに魂となり、俺の周りを漂ったり、取り囲んだり、またはどこかに遠くに行ってしまう。それをつなぎ止めておくためにまた波に乗る。その繰り返しさ」

201506_Jastin_Fishgod_1794

 フィッシュゴッドと話していると、たまに彼の視線が水平線に及ぶ。私もその方向に目を向けると、その次の瞬間——5秒後にうねりの筋が見えてくる。私も遠くから波を感じることができるのだが、その範囲を軽く超えているので、人間ではない超人さを改めて確認した。

 

——なぜあんなに遠くから波がやってくるのがわかるのですか?」

「そこまで難しいことではない。正しく波を観ずれば、自身にやってくる喜、つまり乗るべき波の到来がわかってくるものだ」

 

——クリスチャン・フレッチャーの取材をして、彼には逸脱(deviation)のことを聞きました。自分も同様に逸脱していると思いますか?

「自身が自身であるためには、世間との関係はもちろんあってはならないし、そして関与してはならない。俺を見て、それを逸脱というのなら社会が逸脱しているのだろうし、自分では逸脱しているというより求道していると捉えている。個々のプラクティス(何度も繰り返すことによる体系的な訓練)はそれぞれが持っているものだから、その定義やとり決めには興味がない」

 

——そのプラクティス法、つまりそれを私たちがサーフィングでやろうとするのならどのようにすればいいですか?具体的に教えてください。

「そうだね。まずはありのままの自分を見つめることだろう。波を見極める力や身体的な能力を知ることが重要だ。そしてサーフィングは海との修練をともなうものだから、恐怖を取り除くことも必要だ。そのためには膨大な時間を海と共にする習慣を持つといいだろう。しかしながら波に乗ることは愛着と執着なので、ここでもさまざまな状況を整理し、その場その場での教えを獲得していけばいい。それらの観念からサーフィングへの理解を深めることによって、社会的な囚われからも脱却すれば『達成』に向けての方向を知ることができるだろう。そしてそこからはさまざまな階層や枝分かれした道や路を探し出し、迷うことなくその道を進めばいい」

 

——いつも、ということですね。

「そうだ。永遠に波を想い、滑走を胸に抱くことだ」

 

——すばらしい言葉ですね。感動しました。

「その感動が全ての燃料となり、己を支えることだろう」

 

——最後になりますが、フィッシュゴッドにとって波乗りとは何ですか?

「己を開放し、束縛を切り離し、自在になること。それは愉楽であり、苦の原因を取り去るものでもある。さらには智慧を授けてくれて、永遠なる幸福を与え、生きる糧を獲得する何よりのもの。己の内面をさらに磨き、極めたい。

.

(初出自、NALU 2015/7『革命と逸脱のサーファー』号より)

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オジーとコスタリカ_フィルム時代のカメラ機材_ドリーム・クラッシャー広告_ウエイブガーデンを日本に!!_(2002文字)

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IMG_3805

IMG_3805

昨日の話だが、

朝起きてインスタグラムを開くと、

オジー・ロング(違、悪)というアイロニーのオジー・ライトがこのポストをしていた。

この作品を見た瞬間にやはり彼こそがオーストラリアのウナクネ師範だと確信し、

その旨のコメントを入れ、自分(nakisurf)でもリポストした。

http://www.nakisurf.com/blog/naki/column/column-05

オジーとは2002年にコスタリカで一緒だった。

その穏やかな性格は、

ウナクネ総帥であるアレックス・ノストと同様の波動がある。

とすると、

オジーもそろそろシングルフィンでクネクネする歳になっていくのでしょうか。

My room and toys

そのコスタリカでの機材一覧

Costa Rica 2002 my room (Logan Dulien’s house)

5 camera body

(Canon EOS 1V x2 / EOS 5 / Mamiya 645 / Ricoh GR1)

10 lenses

(15mm x 2 / 24mm / 35mm / 50mm / 85mm /100mm macro

70-200mm / 100-400mm / 600mm)

4 water housings

300 roll films (10800 frames)

4 back packs

2 camera bags

laptop

flash

light meter

tripod

3 sets of swim fins

3 surfboards

これを書いていて感じたのが、

サーフ写真家の昔は荷物がとっても多かったということ。

特にコスタリカは未開の地なので、

カメラ屋はないので、そんな覚悟もあった機材。

さらには300本もフィルムを持っていって、1万枚しか撮れなかった時代。

一枚の写真が貴重な時代でした。

今なら約1790万(5184×3456:EOS7D)画素ならば、

64GBのカード一枚で同枚数は軽く撮れてしまう。

さらにウオーターハウジングの代わりに極小サイズのGoProやリコーWG-M1。

超望遠レンズの代わりに中望遠があれば、

高ISOやAPS-Cサイズの倍率で対応すればこと足りる。

同じことをするにも荷物は半分以下、もしかすると1/10くらいにまで減らせられるだろう。

たった13年で、写真家を取り巻く世界はここまで変わった。

サーフボードも同様で、NATIONを筆頭とするマシンカットの進化で、

ハンドシェイプでは決して表現できなかった、

シングル&ダブルコンケイブからVEEへの切り替え表現だったり、

均一的な流れるロッカーやフォルム等の革新かつ均一的なデザインが可能になった。

nation_Dream_Crusher

そんな中、

もうすぐ発売開始されるNATIONドリーム・クラッシャーへの期待がどんどん高まっている。

先乗りしたカーソン・ワックによると、

史上最高峰のフィッシュだと皆に吹聴している。

フィッシュマニアの私の血が騒いでいて、教会岬のひたすら速く、

そして長いセクションでこれを走らせてみたい。

201509_Sunset_Shane_2384

少し前の作品だが、

シェーン・マクファーソンと真夏の夕陽。

20520017

Photo by Max Houtzager

天才マックスがフォードアーズに現れたことはいつかここに書いた。

その彼から写真が届いたが、それは良い作品だと思う。

20520012

Photo by Max Houtzager

パンクガールTとカメラ。

顔に付いたココサンシャインの跡。

少し前のことだけど、

ずいぶんと昔だと感じるのはなぜだろうか?

201509_SanO_2014

週末、しかもシルバーウイークですね。

荷物をまとめてどこか遠くに行きたくなるのはいつものこと。

先日、仲の良い友人と話していると、

このウエーブガーデンの話となった。

しかも彼は導入を考えているということ。

それなら私も全面的に協力、参加しますということになった。

世界中の良い波は、どこに行っても波は限定的で、

力関係によってそれらの順序が決まっている。

しかし、これがあれば子どもたちや、

誰でも、どんなものでも波を滑ることができる。

ハッピーサーフィング、ニコリンサーフィン、

NAKISURFが長年掲げてきたスローガンとぴたりと当てはまる。

しかもウナクネ系スタイルにも、

クヌヤロ、本気派、初めてでも、

どんなスタイルでも自分の順番を待てばいい。

またこれは郊外型なので、大きな空の下で酸素をたっぷりと吸って楽しむ波乗り。

もしかすると、サーフィングの新しい未来がここにあるのかもしれませんね。

Wavegarden (Short) from wavegarden on Vimeo.

それではすばらしい週末をお過ごしください!

ちなみに千葉NAKISURFショールームではシルバーウイークの特別企画を準備しているようであります。

こちらもよろしければご参加ください。

明日またここで!

Have a happy days for you!!

 

ハッピーサーフィン!_私作品のカレンダー2016年度版が到着しました!_(1260文字)

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nakiphoto_cal2016_cal_CD15_B

【2016カレンダー完成のお知らせ】

nakiphoto_cal2016_cal_CD15_B

これからのNAKISURFは、

ハッピーサーフィンをメインに掲げていきます。

具体的には、

日本はもちろん世界各地のハッピーサーファーたちをつなげます。

これによって、

オリンピック等で爆発的にサーフィンが人気となっても、

『ハッピーサーフィン』を合い言葉に、

世界各国からのサーファーたちもが驚くような、

サーフフィールドが増えることを願ってもう一歩踏み出します。

どうぞご期待ください。

さて、ハッピーサーフィンは「ニコリンサーフ」時代から、

思想を共にしてきました。

このカレンダーを創るには、

まずハッピーなものを撮る。

サーフハッピーを焼き付けて、

毎年一回弊社担当者(ジュン)と吟味を重ね、

作品の質にこだわり、

思想が通じるような真意で創り上げたカレンダーです。

それをご家庭やオフィス、

店舗に飾ってもらい、ハッピーサーフィンを伝えて、

そしてご自分でもハッピーに立ち戻れるように願いをこめました。

CDケースサイズの卓上用

B4という大判サイズの壁掛け用の2種類をご用意しました。

http://www.nakisurfshop.com/SHOP/2016002.html(壁掛け用)

http://www.nakisurfshop.com/SHOP/2016001.html (卓上用)

もちろんお得なセット価格もございます。

http://www.nakisurfshop.com/SHOP/2016003.html(卓上+壁掛けセット)

毎年必ず完売してしまいますので、

どうぞお早めにお求めください。

来年もどうぞ、

ハッピーサーフィンをよろしくお願いします。

nakiphoto_calB4_2016

これが冊子サイズの各月で、

nakiphoto_cal2016B4_28P_P24P25

今年からは、

月の満ち欠けと日本の休祭日に加え、

インディペンデンス・デー等のアメリカの休日、

サマータイムの導入日や終了日。

さらには、

私たちのハッピーサーフィン・デー11月4日までもあり、

“この前後に何かイベントをしましょう!”

私の言葉を各月にひっそり載せました。

この11月のサーフボードは、

稀代随一というサーフボードコレクター、

ハービー・フレッチャーのものです。

この写真は、

サーフィンに夢中になっている方なら、

きっと2時間でも眺めていられるものだと思います。

nakiphoto_calB4_000

表紙は新年にふさわしい黄金波としました。

nakiphoto_CD2016_thumb

こちらが卓上CDサイズの作品です。

おなじみSeeaの新作を着たカリナも見えますね。

卓上サイズは今月12月からのスタートですので、

すぐにお使いいただけます。

http://www.nakisurf.com/blog/showroom/archives/82407

『ハッピーサーフィン・カレンダー』

来年もどうぞよろしくお願いします。

私の今日は東京にいます。

渋谷、下北沢、国立、千駄ヶ谷、大井町に出没予定ですので、

見かけたらぜひ声をかけてください!

それではそれでは!

今日もみなさんのすばらしい日となりますように。

ハッピーサーフィンにありがとう!

【正月号】サーフ自由主義_(1865文字)

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201601_SanO_Pelican_0066

201601_SanO_Pelican_0066

naki

サーフ自由主義

 

カリフォルニアのメジャーブレイクを見渡すと、多種多様なボードデザインが見られ、以前よくあったロングボード禁止等の制限がなくなっているように思える。

タイラー・ウオーレンやアレックス・ノスト、ジャレッド・メルというニューブリードたちをはじめとし、新種アンディ・ニエブレスやコーリー・コーラピント(17歳)までもがミニボード、フィンレスからログボードまで、優雅かつ個性的にサーフしている。

彼らのことを総称してオルタナティヴサーファーと呼ぶが、なぜこんなムーブメントが発生したのか?(オルタナティヴ=Alternative, 形容詞。違う選択、代わりの、異質な、型にはまらない)まずはサーフィングの歴史が長い、ということが挙げられる。さらには個人主義が確立していて、万人と同一ではないということと、さまざまなスタイルで波を楽しもう、という思想がこのオルタナティヴサーフの源流となっているようだ。

20年ほど昔、トム・カレンがさまざまなサーフボードで多様なサーフィングを見せた。そんな思想を受け継いだジョエル・チューダーがデヴィッド・ヌイーヴァに傾倒し、歴史的ボードの大きさを拡大させ(10フィート以上のログボードまで拡げた)、クラッシックなトリムやノーズライドをリバイバルさせた。そしてその種子がその次世代=チルドレンを育てたのが、第一次オルタナティヴサーフ時代だろう。

そして上記したタイラーやアレックスたちを擁する第二次に突入している。一次と二次の隔たりは少ないのだが、あえて分けるとするのならボード選択の理念が「波に合わせて」となっていることだろうか。彼らは、フィッシュやミニボードを走らせる波ではそれらに乗り、バレル系ならミッドレングスやガン、緩い波だとログと使い分けていて、第一次の多くのサーファーのように「どんな波でもロングボードで乗る」ということではなくなっている。現在サーフ業界は、オルタナティヴブランドの台頭が著しく、逆にそれがメインストリーム(主流)になっていくかのような勢いがある。

“COOL”を究極とし、穏和を好むこのムーブメント。そして今日、サーファーは誰もが個人の自由な意思に基づき、自らの判断で、ボードデザインやスタイルを自由に選んでいる。これが『サーフ自由主義』の始まりである。

『サーフ自由主義』は、“単一のボードでそれぞれの波を乗る”ということではなく、好きなボードでさまざまな波に乗る、ということを定義としている。歴史的な板、美しい板はもちろんのこと、友人のボード、どこかで見つけたボロやワルボード、さらには発掘ボードや変わり板を持ち出して、それぞれのサーフブレイクに仲良く集う。そこには競争はなく、協奏という思想のもと、シェアライドをしてお互いを称え合い、個々のファインラインをそれぞれのサーフボードによって主張している。そんな広大さを持つ解釈が『サーフ自由主義』の真骨頂だ。波に乗る多様さのすばらしさに加え、より多くの人が波を分かち合おうという考えに基づいている。これによってコンテストでのルールと、テリトリーを主張するハイパフォーマンスや、旧式のサーフィングから脱することができるだろう。

現代において、個人の自由で独立した選択に敬意を表し、ボードの個体差における隷属(れいぞく。この場合は浮力による支配を指している。またはその反対)を防ぐことも必要だろう。

「波乗りは楽しい」とされてから半世紀以上が過ぎ、サーフ人口は膨張し続けている。乗ることができるささやかな波の数と、その愛好者の数をくまなく合致させるためには、このサーフ自由主義者たちのCOOLで寛大な心が必要となってくる。

たった1本の波で人生は変わる。このオルタナ属のリベラリズム・サーファーたちは、常に究極の滑走を目指し、永遠に続く精神世界への架け橋を探している。

サーフ世界を拡張するこの原理ムーブメントはすでに始まっている。波乗りの内面から自らを解放し、しん(真、心、芯、新、深、神、進)の自由と、至福を獲得する日はすぐそこにある。■(了、2015_03_01)

初出自Blue. No.52 20153月号

IMG_2280

↓↓↓掲載号が届いた日はこちら↓↓↓

オーシャンサイドからエンシニータス、サンオノフレ経由でクリスチャン・ワック家に行き、グラブルズとBlue誌と抱井さん_(1959文字)

それではまた明日もここで!

Have a great new year day!!!

無風鏡面波の幻想夕焼日_(1678文字)

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201601_SanO_Sunset_6598

スクリーンショット 2016-01-22 9.29.15

こんにちは、

土曜日をいかがお過ごしですか。

こちらはちょうど金曜日の夜になったところです。

これからカイラと行った奄美大島の旅記事をBlue誌に書かせていただくので、

その材料集めと、他の読みものにも没頭しつつ、

また大波もやってくるようなので、

サーフもあいだにはさんでという週末とする予定です。

さて、トップ画像と下の作品を得ることができた。

201601_SanO_Sunset_6670

「サンオノフレ・サンセット」

こんなにすばらしい夕焼けとなるとは全く予想すらしなかった。

沿岸は朝からずっと深い霧で、

ほぼ何も見えない状態だった、

ライブカメラを見ていると、

日没の3時間くらい前に霧が薄くなったので、

支度をしてからサンオノフレに向かった。

到着すると、完全なる無風の海が広がっていた。

しかも新しい西うねりが(オーバーヘッドくらい)入っていて、

さらにはこのパワフル満月による超干潮というセットアップ。

”それはそれはの緩斜面なのになぜか崩れる”

そんな不思議な波を乗っていった。

太陽が水平線の向こう側に行くまでは、

曇天グレーの空で、まさか夕陽は出るわけがないと思っていた。

だが、うれしいことに沈んだ夕陽がそのグレー雲と呼応したようで、

照り返しというか、反射でどんどん暖色に染まっていった。

201601_California_Opera4_6472

オペラを観た日に映画館を撮ったものがこれ。

昨日書きましたね。

起きてからこれをもう一回見ると、

「とてもきれいなもの、けれど人口的」

という感想を抱いた。

「次は自然の色で、とても美しいものを撮りたい」

そんなことをぼんやり考えていたので、

タイミング的にも最高だった。

201601_SanO_Sunset_6568

サンオノフレのフォードアーズと、

オールドマンズを分ける大きなパームツリーがあった。

しかし、

海岸侵食で倒れてしまったその無念の木の幹にカメラを置いて、

2.5秒間シャッターを開けて撮ったのがこの波写真。

先ほど書いたように全くの無風ならば、

波はこんなふくらみとなって映る。

波面が鏡面のようになっていたほどツルツルピカピカ。

ターンをすると、

その自分が起こした波紋が扇状に拡がっていき、

それがグレー空とマッチして、

ジョン・オルトンのフィルム・ノワール、

つまり極端な明暗対照法の白黒作品のようにとても幻想的で、

思い返すと全てがファンタジアな日となった。

こんな日があると、

ケリー・スレーターのウエイブプールは必要ないとさえ思えてしまう。

やはり自然はすごい。

そう強く感じられるのはこの月のせいだろうか。

とてもパワフルに感じます。

201601_SanO_Jamison_6557

ジェイミソン・オコーネルが、

10’8″のメガフィッシュで、

このサンセットに染まった美しい斜面を滑り、

半ば放心気味に上がってきたところ。

「サイケデリック!」

そんな単語が出てくる空色。

201601_Jamison_naki_6685

普段は撮らないセルフィーをそのジェイミソンと。

私たちはそれほどまでにこの夕焼けに興奮したのです。

IMG_8846

そのままいつものボードアンドブルーに行き、

またここでもみんなでセルフィー。

(じつはジェイミソンの奥さんがここで働いているのです)

page1_outlines

キャッチサーフの話になって、

シングルフィンが出るのを友人たちは楽しみにしているようだが、

「すでに(USAの)最初のデリバリーで、

7,8,9フィート全てのサイズが前受注で完売してしまったよ」

そう言ったら「え!」と驚いていた。

キャッチサーフ社内の情報によると、

去年もこの時期には完売していたのと、

エアジョーダンのように新色を買うのを毎年楽しみにしている人の需要なのだそうです。

生産数を増やして対応するというが、間に合いますように。

IMG_8840

ジェイミソンと彼の友人マイク。

ジェイミソンのサーフ名言がNALU誌に掲載されて、

それがうれしくて、うれしくて写真を撮っているところ。

私はこれを撮りながらほっこりとしてしまった。

ジェイミソンは若いのに苦みを効かせたすばらしい名言を書いたと思います。

感動できるし、感情移入もできる言葉、しかも波乗り世界。

ありがたいことです。

それではそれでは、

すてきな土曜日となりますように。

今日も来てくださってありがとうございました。

それではまた明日もここで!

Fullmoon Party.

 

ワイメア・インビテーショナル『エディ・アイカウ』最終章_(2257文字)

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JOBandTC

JOBandTC

JOB  going big.

エディ三部作完結編を書きます。

まだお読みでない方へ、

前編はこちらです↓

第31回ワイメア・インビテーショナル『エディ・アイカウ』_ハイパーソニック_伊豆下田に_(2517文字)

中編はこちら↓

エディ・アイカウの大きなイベントを終えて_(2098文字)

 

今回のエディ・アイカウですごかったのが、

新人というか、新選出のサーファーたち。

ワイメア=母の胸

まるでその例えのように躊躇なく波の中に飛び込んでいった。

前回

新時代組

伝統派

悲願系

と3派がいると書いたが、

この新選出人を入れると、4派になると気付いた。

KoaRothman

このコア・ロスマンはマクアの弟で、

いわゆるノースショアのボスの息子たち。

ファミリーでサーフしていると、

ぐれてしまい、サーフしないという選択もあったのだが、

さすがハワイのトップサーフ階級は違う。

彼らは波乗りを愛し、

パイプライン、サンセット、ワイメアのみならず、

巨大なハレイヴァ・アウトサイド、

アヴァランチやVランドの沖のファントムの怪物波にも乗っていた。

なので、このワイメアは、

上記したように幼児が母に飛び込むように、

本当に思い切りテイクオフしていって、

しかもほとんどが99%ほどメイク、

つまりほとんどボトムまでドロップしていた。

他にもネイザン・フレッチャー、

コアの兄マクア、南アフリカのツイギー、

ブラジルがその度胸と、

メイクまでいかに近かったかを賞賛されている。

ネイザンフレッチャーは、

ほぼ垂直になった波壁を少しも怯むことなく、

しかもカジュアル(普通)に降りていったのだが、

壁は垂直以上に切り立ったようで、

その自然の原理に逆らえず、飛ばされてしまい、

さらには強風にあおられてボードは真横に向いてしまった。

着水した瞬間、そのショックで波底までダイブして、

当分のあいだ浮かんでこなかった。

私は個人的にネイザンはもちろん、彼の父ハービー、兄クリスチャン、

さらには母ディビとも仲良くしているので、とても心配になった。

カメラは何も浮いてこない海面を写していて、

ややあって、チャンネル側にネイザンが浮いてきた。

良かった。

駆け寄るウオーターパトロールを制するように、

自身でパドリングを開始し、

さらにはチャンネル側ではなく、

浅い岬側にパドルしていく。

最初は、

ネイザンがこのワイプアウトのショックで錯乱しているのかと思ったが、

実際はヒート終了直後の波だったので、

彼は陸に上がろうとしていて、

それはつまり次の波も喰らうか、

乗るかという選択で内側に入っていったことに驚いてしまった。

というのは、

ビッグウエイバーの話を聞いていると、

こういう猛烈なインパクト、

さらには長い時間を巻かれてしまうと、

上がってきたとしても星が浮かび、

視界は明滅し、

体が重くなってほとんど動かなくなってしまうそうで、

そう考えると、ネイザンのこのワイプアウトは、

彼にとって極限ではなかったことを示していて、

その底力というか、ポテンシャルにそら恐ろしくなった。

JJF

そんな中、

新時代組の筆頭であるジョンジョンは、

シェーン・ドリアンだけが持ち得たタッチをなぜか会得していた。

つまり、

『爆弾波の泡に弾かれずにボトムプッシュもメイクする』

という熟練技で、

他のサーファーはボトムプッシュがある波だと、

あのJOBでさえ一瞬で弾かれてしまうほど、

泡波を耐えることはできなかった。

そこを耐えないと王者はない。

またはロスクラーク・ジョーンズやケリー・スレーターのように

テイクオフの位置の妙にこだわるしかなく、

ジョンジョンは、

前出した母胸系の躊躇なき飛び込みまでもメイクし、

結果、エディ王の冠を手にした。

このジョンジョンたちのグループは、

WSL等でご存じだろうが、

多くの同型サーファーたちがいて、

つまりフェリペやコロへ・アンディーノがいるが、

サーファーとしてのパッケージ、

つまり波への許容範囲ということで、

彼らを大きく引き離し、サーフアイコンとなった。

私は彼が怪我をしなければ、

ケリー・スレーターのようにこれから20年間は、

ジョンジョン時代が来ると予見した。

そんな重要なエディ・アイカウ・インビテーショナルとなった。

スクリーンショット 2016-02-28 23.18.51

これは別日のジョーズでのワイプアウト、

トミー・ドズランドだが、

彼はこの後、

酸欠とショックで体が動かなくなってしまったという。

彼は飛ばされていった海中で、

これはまずいぞと感じ、

背中にふたつ付けられた浮き具を両方ふくらませたら、

海面へではなく、真横に引っぱられていったそうで、

それだけでもこの波のものすごさを物語っていると思う。

さらには、

彼の友人でもあるレスキューのBKが、

浮いてきたところをジェットスキーで救出してくれたのだそうで、

そのどちらかが欠けても生命の危険があった波だったという。

いやはやものすごい世界です。

エディ・アイカウ編、これで終了です。

 

IMG_0063

巷で、全世界で大人気のインスタグラムだが、

突然フォロワーが増えたので、

変だなと思い、サーフラインをチェックしてみると、

ここに私の紅茶のティーバッグのタグにあった

「あなたは無限大です」

そのメッセージのポストが紹介されていて、

それによってフォロワーが倍増したと知った。

ハッピーサーフィン、

そしてハッピーライフスタイルを中心に投稿していますので、

よろしければフォローしてみてください。

nakisurf  で検索ください。

それでは、すばらしい日となりますように。

東京は雨のち曇天で、湘南はオンショアです。

Have a great week!!

 

 


文字と、言葉を持たない日(Spring Japan編)_#66

私波乗歴史_前編_(2225文字)

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波に乗る、つまりサーフィンを知り、

実際に波に乗ってみたら人生が変わり、

50歳を越えて、なおまだその希求は増している。

波乗り、つまりサーフィンが、

サーフィングになり、波乗道になり始めてからのイロイロをここに記しておくことにする。

また例によって長くなるのもあれなので、

それはいつかに譲るが、ここに簡単に書いてみることにする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

波に乗る以前

東口のエキマエにあった月賦の丸井で、

ライトニングボルトのタオル地の鼻緒まで虹色のレインボーサンダルを発見し、

「うーむ、サーファーになると、こんなカッコイイものを履けるようになるのか」

サーフィンに対して畏敬の念を抱くと共に

あまりにもハッピーな虹色に感銘を受けた3階紳士服売り場だった。

ちなみにそのサンダルには2800円という高価な正札が付いていた。

(おそらくライセンス製品だったと思われる)

rainbow_sandal

筆者注:

当時は「陸サーファー」というファッション風俗があり、

それは波に乗らないのに、

波乗人を演出する若者が多かったことに由来している。

で、サーファーファッションの基本は、

「波乗りしている人が着ることができる」

そんな空手の道場着のような考え方であった。

なので、上記した考え方に帰結するのは当然のことでありました。

さらにここにあえてゲップとショウフダという2つの死語を入れてみた、

ちょうど世間は、

およげタイヤキくんの大ブームに包まれていて、

早熟だった私は、

ニール・ヤングと、ABBA、イーグルスをFM曲からエアチェックし、

それを大切なTDKクロムポジション (Type II) のテープに録音し、

さらには曲名を調べるためにFMファンという月刊誌までも購入していた。

後に大ファンとなるビリー・ジョエルはまだデビューすらしていない。

popeye_rainbow_sandal_tropical

参考:トロピカル松村さん(Blue誌現栄誉編集者)

http://tromatsu.doorblog.jp/archives/29759317.html

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波に乗る

まずは白子で貸ボディボード。

ややあって、

Kセンパイに連れられた太東岬でケン・ブラッドショウのシングルフィンに。

七里ヶ浜で本格的にサーフィンに打ち込む。

(詳しい顛末は本文最後に3部作のリンクをつけておきました。

合計1万字もあるので、お時間のありますときにぜひ)

この頃はサーフィンは楽しむものではなく、

もう少し武道的な観念があったように思える。

それほどまでに海は危険で、真剣に対峙しないといけないものだった。

このとき、私が参考にしたのは、

KCマガジンコミックスの名著

『空手バカ一代全29巻』である。

大きな波にやられても、

たたきのめさても、

なお立ち上がる若き日の大山倍達に自分を重ねることで、

意思の弱い私でも恐ろしい波群に立ち向かえたと、今も感謝している著です。

ちなみに国鉄池袋駅に行った際に、丸井の5F奧にあったサーフィン売り場に行き、

そこに崇められるように陳列され、

さらには販売されていたアランバーンの6チャンネル・ディープシングルフィンを見て、

「上手になれば、これに乗れる」

そう確信めいた光の啓示を受けたボードでもあった。

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果たし合いに出場

NSA主催の全日本選手権。

当時は、

長沼サーフボードでシェイプをしていた下重さんからボードを提供していただいていた。

これもすでに死語だが、テストライダーというヤツである。

それをやっているヤツは、

コンテスト=波乗り競べという試煉があるという。

この成績いかんでは、翌年のボード本数や、

ライダーの扱いが低くなり、さらには見放されるという罰まであった。

その恐ろしいタタカイの最高峰はゼンニホンというのもので、

そのシブヨセンというのが春にあるから、

えーキミも登録しつつ、エントリーして出場し、良い成績を修めるように指示された。

もちろんお世話になっていたDセンパイや友人たちもみんな出るというので、

そのシブヨセンに向けた練習を兼ねて、

南房総の岡田修平さんのお膝元、

和田はロス前で開催されたコンテストのBクラスというのに出てみた。

「12分の間にたくさん良い波に乗ればいいのだ」

そうやって大きな自信を付けて、

支部予選のウエイティング期間に入った。

今でもたまに「シブヨセン明日あるかな?」

そうドキドキして眠れなかった6畳間の土曜夜を覚えている。

ちなみに片瀬海岸は、

腰越寄りにあったマクドナルドの真裏に住んでいたので、

たいていの土曜深夜は、暴走族の騒音であまり眠れなかった。

上記したように『空手バカ一代』の読者でもあったので、

このサーフィンの試合は、巌流島に向かう武蔵の気分でもありました。

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201603_Brian_Miller_6354

ここまで書いてすでに2000字となってしまったので、

ここからは明日に続きます。

こちらサンクレメンテは、

月曜日から続いていた嵐が去ろうとしています。

今日もみなさんの良い日となりますように。

 

冒頭に書いた3部作のリンクをこの下においておきます。

なぜ波に乗るのか?_私が波乗りを始めた頃の回想記【前編】_(3132文字)

私が波乗りを始めた頃の回想記【中編】_ものすご人気のキャッチサーフ2015、先行予約を受付中です!_(2772文字)

パノラマ&正方形インスタグラム_私が波乗りを始めた頃の回想記【完結編】_(4202文字)

私の波乗りの歴史_第3編_(1828文字)

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1993_Bali

昨日、一昨日からの続きです。

私の波乗りの歴史_第2編_サンクレメンテ近況_(3026文字)

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バリの波に乗る

湘南、千葉、静岡、新島でサーフしてきて、

さらに違う波に乗りたいと感じるようになってきた。

そんなとき、無料でバリに行けることになった。

なぜ無料かというと、

バリグッズを売る社長と一緒にバリのクタという街に行って、

そこにある豪邸に泊まりつつ、サーフしまくって、

ディスコに行って、おいしいロブスターを食べていいが、

帰りの飛行機は私の商品を持てるだけ持って帰ってくること。

こうして書くと、

密輸業者のようで危ないような気がするが、

その頃はそんなことは全く思わず、

「クタクタになったらどうしますか?」

そんなつまらないジョークを飛ばしつつ、

甘い花の香りに包まれたデンパサール空港に到着したのが22時。

恐ろしい運転のタクシーでそのクタビーチまで向かった。

翌日はハーフウエイ。

しかも豪邸から徒歩5分。

3日目はレギアン。

ここは新島より流れが強く、そして分厚い本格的なビーチブレイク波だった。

遙か彼方でブレイクするエアポートリーフの波に乗り、

波面とはここまで硬いものかと恐れ入った。

また長い滑走距離と、冬でも裸で入れる温かい海に感銘を受け、

その旅が終わってからすぐにまたバリに行こうと決意し、

翌週には、三週間のバリ旅に出た。

1993_Bali

当時ーーきっと今もだろうがーー

物価が違うということにカルチャーショックを受けたので、

当時の金額をここに記しておきます。

一泊朝食付きの400円の宿に泊まって、

前出したブレイクはもちろんのこと、

チャングー、ウルワツ、マドウィー、ヌサドゥアの波に乗っていった。

当時のバリニーズ・サーファーだが、

5人くらいが超人的に上手く、

その中でもマデ・カシム、

カトゥ・メンダたちが伝説のサーファーとして、

別格扱いでその名を知られていた。

さらに20人くらいは世界でもプロクラスのサーファーだった。

その中にワヤン・ピッチャ、ワヤン・ネッカたちがいて、

後に名が知れるバリニーズは初心者にもなっておらず、

サーフィンというのはそこまで普及していなかったように思えた。

リザール・タンジュンは、マデ・スイトラたちと同じくまだ子どもで、

ワヤン・ジョディ家の前の中華飯店『ジェミニ』がおいしく、

毎晩そこに通って晩餐していた。

とはいっても、

ジェミニならどんなにぜいたくをしても150円程度で、

ごくまれに行くポピーズ・レストランは、

王家の晩餐会と見間違うほどの豪華絢爛さで、

とても値が張り3000円くらいだった。

なので、ポピーズに行くには到着後すぐでないと、

通貨価値になれてしまうので、

3万円くらいの食事に感じられてしまい、

それから2度と行くことはなかった。

ちなみにヌサドゥアはアウトリーフで、

通常はカヌーでブレイクまで渡してもらい往復200円を支払っていたが、

これをパドリングで行くことにより節約し、

ダユ2というレストランで分厚いステーキが食べられて、

こちらがカヌーと同価格ということで、

節約した日はステーキランチということをしていた。

バリは、ところどころの道だけが舗装された程度で、

埃が舞う砂利道の横で、

ハエを払いながら食べたそれは辛いナシチャンプルの味。

ファンタやコカコーラのボトルを集めていて、

バリでは、昔のグレープやオレンジのラベルボトル、

さらには見たことのない「ストロベリー」「レモンライム」まで発見し、

大興奮しながら集める意味でも1000ルピア=当時12円でガブガブ飲んでいた。

毎日、いくらでもサーフィンできたが、

なぜか途中から飽きてきてしまい、

大山マスタツさんの精進するという思想が薄れてしまい、

「やばい、こんなことで自分はプロにはなれない」

そう感じたほど、修練の意味が薄れていき、

堕落までは行かないが、

真冬の真夏日とファンタまみれを終えて、

湘南に戻ってきたボクでありました。

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明日の「4」に続きます。

 

現実の今日ですが、

私たちは大きな出荷日があり、

今週のほとんどをそれに集中し、

集荷トラックがロスアンジェルス国際空港に向けて去って、

南西と南、そして北西のミックス波を満喫してきたところ。

201604_San_Clemente_pier_9310

夕陽もこのように、

遠くに、そして親密に世界を包んでいきました。

みなさんのすばらしい土曜日となりますように!

Have a fantastic Saturday!!!

 

【佳境の特大号】私の波乗りの歴史_5編_ノースショアはサーファー神話製作場_(3888文字)

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今日は第5編目です。

初ノースショアで、全てに思い上がっていたボクは、

サンセットで、

ハワイの波乗りの神さまにこってりしごかれていた。

 

私の波乗りの歴史_4、ハワイ編_(1728文字)

 

 

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フィットハウス。

この当時

ーーきっと今もそうだろうがーー

サーファーにとってのノースショアは、

ドラゴンボールでの”カリン塔”であり、

ブルース・リーの『死亡遊戯』で猛者が待ち受ける場所であった。

そんな位置づけで臨むノースショア。

そのフィットシステム・ハウス、

通称フィットハウスに滞在することは無料とあって、

私はこのノースショアを背水の陣、または項羽の四面楚歌とし、

最低でも3ヶ月は滞在して、その真の波に乗ることを目標に掲げていた。

その副賞の無料エアチケットは、

無料だけあって、

10月、または2月の閑散期の火水木曜日のみ出発可能だと注意書きにあり。

それ以外は追加料金とあったので、

フィットハウスの開催日より2週間ほど先にやってきた。

空港では、

「ハワイに留学するの」と言っていた謎の美女H嬢にピックアップしてもらい、

その彼女が売りたいという車を得るに至った。

「シボレー・モンテカルロ」200ドル。

当時のドルレートが135円ちょいだったから

3万円弱で手に入れた初めての外国での車であります。

(実際にはボコボコベコベコのボロ車でありました)

私が先がけて到着することを知った岡本さんが配慮してくれて、

日程を早めてフィットハウスがオープンされるということになった。

このフィットハウスがあるクイリマリゾートは、

タートルベイ・ゴルフ場に隣接したコンドミニアムで、

ストゥーディオ(日本で言う豪華ワンルーム)から、

4ベッドルームまであるそれは瀟洒で、

大きな家に見えるタウンホーム群でありました。

その焦げたような茶色は、レッドウッドを思わせる外観であった。

フィットハウスを担当する不動産エージェントは、

シンディという老人にさしかかる頃の女性だった。

彼女が住むというW103を訪ねると、

「吠え声がうるさいから声帯を取ってしまったの」

そういうシーズー犬の「くひゃくひゃ!」という吠え声の歓迎を受け、

じつに簡単に鍵を貸していただいた。

入ってみると、3ベッドルームの豪邸にひとりである。

一階に一部屋。

トイレと洗面、シャワーバスの部屋があり、

4つの電気式コイルのレンジと巨大冷蔵庫がある大きな台所。

リビングルームとダイニングを兼ねた部屋がまた広く、

そこにはソファとテーブル、TVがあって、

階段を上がると、デンという広間があり、

日本流に言えばそれは12畳くらいだろうか。

そしてその奧にもう一部屋10畳くらい。

またトイレと洗面、シャワーバスの部屋があり、

最後にマスターベッドルームという15畳くらいの部屋が、

キングサイズのベッドを中央に鎮座させ、

そのまま奧のマスターバスルームに続き、

専用のトイレ、シャワー、洗面が二つもついた王さま仕様であった。

2週間後に千葉公平さんたちが来られるから、

良い部屋は使わずに、

とりあえず一階のベッドルームに荷物を運び込んだ。

時差ぼけもあって、夕方くらいからぐっすりと眠っていると、

夜半にドアをズドズドとノックする音がした。

怖いので無視し、

翌朝になってから見てみると、ドアに警告書が貼られていた。

それには、

「パティオ(庭)に洗濯物を干さない」

という項にチェックがされており、洗濯物の上に線が引かれて、

WETSUITSと大文字で書かれていた。

どうやらハワイはウエットスーツですら外に干してはいけないらしい。

所変われば、イロイロ変わる。

それならローカルたちのようにトランクスだけでサーフすればいい、

直感的にそんなことを考えていた。

ハワイの香りというのか、

あの青い空を取り巻く、美しい大気。

わがモンテカルロ号の大きな窓を開け放って走るハイウエイは、

大瀧詠一さんの名作『A LONG VACATION』の、

永井博さん作ジャケットを思い出すにいたり、

ここに来るまでは、

深夜からお昼までを横浜市中央卸売市場本場で、

強制労働に似た高給バイトに明け暮れたドレイ時代とのあまりの対比に思わずニヤケてしまった。

そのボロボロのモンテカルロ号と私は、

ワイメアもパイプラインもわからないままエフカイビーチパークを見つけ、

そこの右側の波(ププケア)や、

ハイウエイからサーファーが出入りしているのを見てロッキーレフトを発見するに至った。

この一帯の波は岸から近いブレイクなので、きちんと波チェックができた。

どんなに大きく見積もってもセットで頭くらいだったので、これならサーフできると確信し、

そのロッキーポイントに行くことにした。

湘南で使っていた5’10″が、この波へのベストマッチだと思ったのだが、

あのものすごいノースショアのことである。

そんな得体の知れない波パワーを考えて6’2″を抱えていき、

岩がたくさんある砂浜に陣地をこしらえて見学していた。

沖から蛍光緑色のボードに乗ったフロントサイドのサーファーがエアをしまくっていたが、

着地に結びつくというより、

空に浮いた雲まで届けとばかりに離水を繰り返していた。

今思うと、この彼はリアム・マクナマラだったのだろう。

その緑色が乗ろうとすると、

ふざけながら邪魔をするティーンサーファーたちが3人。

ハワイアンスタイルの渋いサーファーたちが8人くらい。

他の白人サーファーも全員、しっかりとしたターンで、

その岩だらけのインサイドの沖で、

ダイナミックに、そして優雅に波を乗っていた。

緑のサーファー以外は全員トランクス一枚。

新島系のパワーのようで、バリのようなパーフェクト。

そうやって自分に情報をインプットして、

心のウオームアップをしていた。

前編にも書いたが↓↓

私波乗歴史_前編_(2276文字)

私はリーフブレイクの鎌倉で波乗りを練習したこともあって、

こういうポイントブレイク、

そしてリーフブレイクのマナーは先輩たちから教えられて身についている。

今でも重要だと思っている波乗りマナーは、

「いきなりピーク付近に行かない」

「ピークと同じラインまで沖に出ない」

「とにかく新人はインサイドでサーフする」

そういったことは空手時代からわかっていて、

その要諦は、

「新入りはもちろん茶帯程度では、

師範や達人たちの組手には参加できない」

そんな当然なことで、

よってこの達人と妖怪たちがいるロッキーポイントで、

沖にまでパドルアウトしようとは1ミリも考えていなかった。

インサイドでやりたかったのだが、

サーフ雑誌でその高名を轟かせていたロニー・バーンズがひとりで波に乗っていた。

時間はたっぷりあったので、

ずっと見学していると、ほぼ全員が同じタイミングで上がって、

あっという間に3人しかいなくなったので、

そのロニーバーンズのやっていたブレイクで、

自分なりの表現をしたが、

揺れるようなバックウオッシュが常に入っていて、

波から軽く振り落とされたり、

インサイドでは強烈な流れがあり、

渦巻くような波を体験し、

それまでの海とか波とは全く違うことを身を持って味わった。

(自分はロッキーポイントでサーフしたと思っていたが、

後にそこはモンスター・マーシュという別ブレイクであったことを知った)

空腹からがら海から上がり、

サンセットの前にポツリと現れるガソリンスタンドの横のキャミーストアに行ってみると、

隣が食堂(ダイナー)と称していたので、

どれどれと食べたカルビプレートのおいしさといったら、

それまで食べたもので一番おいしいと錯覚するほどの味であった。

すぐにフードランドを見つけ、

「ファッティ・アヒ(鮪脂肪)」があって、

これはどう見ても、

“トロ部分がたっぷりと付着した筋”が、

サクで1.50(200円ちょい)と手書きされて安売りされていて、

ハワイの人は、こういうものはあまり食べないのだと知った。

それにアロハ醤油をたらして食べた味はまさしくトロそのもので、

ご飯が食べたくなり、米を買って鍋で炊いた夜もあった。

週末になると、タウン(ホノルル)から友人たちがやってきて、

そのププケアとか、またはラニアケア。

みんなで食べたバーガーキングのワッパーというハンバーガーのおいしさといったら、

前出したカルビプレートと同等な感動まであり、ボクはハワイ生活を満喫していた。

2週間後、本隊である千葉公平さんたちがやって来られた。

公平さんは、

私の空手の師範にも似た雰囲気があり、

ひとたび波乗りすると、

両手ブラリ戦法(©あしたのジョー)で、

バックドアのチューブを抜けたりし、

恐ろしいローカルだったマイケル・ホーたちも

「コーヘイ、コーヘイ」と子どものようになついているのを見て、

なるほどこんな日本人サーファーがいるのかと感じいった。

公平さんの弟子たちは、

私が溺れそうになったサンセットの10フィートオーバーに普通の顔をして入っていき、

または大きな日のパイプラインにも乗っていた。

そんな伝説人と、達人を取り巻く人と共同生活をすることで、

硬派な思想となり、

その化け物が、「鋭利なリーフ」

という刃物を持ったような波に立ち向かっていく気力やきっかけとなって、

そしてハレイヴァのピークに吸われていき、

最後はピークの奧で浅瀬にどかりとやられてしまうという、

恐ろしいカレントや、

バックヤーズの激烈ウエッジするピークを目撃し、

ノースショアというのは、サーファーにとって神話世界なのだ、

そう確信していく毎日でありました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

長くなりましたが、明日の6に続きます。

 

 

 

 

私の波乗りの歴史_第6編_(2908文字)

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第6編まで進みました。

元々はちょっとだけ書こうと思っていましたが、

先輩や友人たちからかなりの数のメールが届いていて、

「オレはどこに出てくるのか」

「もっと書いてくれ」

「懐かしすぎる」

そんなご要望もあって、もう少し続けます。

ただどこまで書くのか、歴史編はどこで線を引くか、

それが私の焦点となっております。

昨日まで、第5編はこちらです↓

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パイプライン

私たちノースショアに滞在する日本人サーファーたちは、

神話のような波に挑みながら、祈るような毎日を過ごしていた。

ある人から聞かされたのが、

「メディアへの露出」で、

これは、

“無料滞在しているライダーは、ノースショア滞在中に必ず写真を残さなければならない”

そんな不文律があるらしかった。

ただ、今と違ってデジタルカメラは普及していないフィルム時代だった。

通常はポジティブというフィルムを使うので、

1枚撮るのにフィルムと現像代だけで1ドルの原価がかかり、

それに滞在費、渡航費を合わせると1枚10ドルでも出血大サービスだと、

大雨日のガスチャンバーズで知り合ったNさんという日本人写真家は教えてくれた。

それに日本人フォトグラファーは、

日本人を撮ってはくれるが、

じつに打算的なので、

「あ、トム・キャロルが乗った」

「マーチン・ポッターだ!」

もちろんだが、そうやってメジャーサーファーがいると、

表紙や見開き狙いと的を変えるのだそうで、

そうなると日本人サーファーは二の次で、

この状態で写真を残すというのは、

『コダック・リーフ』と呼ばれるオフザウオールから、

バックドア、パイプライン、

ロッキーライト、ロッキーレフトあたりでサーフして、

フォトグラファーがいるときに妖怪や伝説人、

または有名人よりも良い意味で目立った波乗りをしないとシャッターは押してもらえなかった。

「もしかしたら写真を撮ってもらえるかも」

そう考えて、コダックリーフに行くが、

挑戦修行中の私のようなサーファーを撮ってくれる奇特なフォトグラファーはどこにもいなかった。

それよりもフォトグラファーがビーチに並んでいるところは、

サーファーも激戦区で、波に乗るというより、

おこぼれ波を必死にテイクオフしていただけだから、

これは自分のしたい波乗りではないと感じるようになり、

自然にラニアケアとか、

ベルジーランドという写真方面に遠きブレイクに向かう毎日となった。

そんなある日。

夜明け頃、エフカイビーチパークからパイプラインをチェックすると、

頭くらいあるのだが、3人しか入っていない不思議な日があった。

無風で、しかも良く晴れている。

ちょうど5’10″を車に入れていたので、

「これはビッグチャンスだ!」

そうやってすかさずパドルアウトして、

すばらしいバレル波の壁に張り付けた。

ここで感じたのは、

ずっと探していた波乗り技術のドアを見つけ、

すぐにそれを開いて新しい世界に入れた気がして、

うれしくて何度もテイクオフを繰り返していた。

だんだんセクションが深くなっていった。

「まだ抜けられる」

そうやって奧からテイクオフして張り付いて、

バレルインしてすぐにフォームボールという泡層に乗ってしまい、

沈められて、巻き上げられて、浮き上がってくると、

ボードの上半分がなくなっていた。

生まれて初めてボードを折ってしまった。

こんな簡単に折れてしまうのもパイプラインならではだと、

悔しがるよりもむしろ感激し、先輩たちが教えてくれた

「折れた部分はファイバーグラスが露出しているからそこが危険だから触らないように」

そんなことを思い出しながら半ボードに気をつけながら泳いで上がってくると、

白人サーファーがボクの上半分を掲げて待っていてくれた。

2ピースとなってしまったボード。

ビーチパークのシャワーでよく洗い流して、

「またつないで乗ろう」そんなことを考えていた。

ボードをモンテカルロ号に積もうとしたとき、

有名な日本人写真家が初めて話しかけてきてくれた。

「ボードをそんなにしちゃったらダメだ」

そんなことを言いながら、

彼はボクがここでやるのは1000億京万光年は早い、

そう遠回しに伝えてくれた。

ボクは笑顔で、

その言葉の真意には気付かないふりをしながらそこを立ち去って、

サンセットマートで大好物のエクレアを食べながら、

それからもパイプラインのことをずっと考えていた。

常にテイクオフの身振りを練習し、

ドロップインする感覚、

波への漕ぎ出す位置、

テイクオフしてから背中側のレイルを滑らせるように、

そして引っかけるように、

レイルはこうつかんで、

顔の向きはこうで、胸はこの位置で、そうやっていた。

壁を見ると、

垣根でも車のドアでもそんな練習をする毎日が始まった。

嵐の日はリアム家に行って新島仕込みの卓球をするようになったが、

そこでもバックサイドにこだわり、バックハンドだけで卓球をしていた。

実際の波乗りではライト、

つまりレギュラーの波が主流のラニアケアに行ってもバックサイドになるレフト、

ププケアでもバックサイド波を探し、

バレルにならないのに壁に張り付いていた。

そうこうしていたら大きな西うねりが入り、

それはそれはすばらしいパイプラインが姿を現した。

デーン・ケアロハ

サイモン・ロウ

マーチン・ポッター

デレック・ホー

リアム・マクナマラ

ゲーリー・コング・エルカートン

ロス・クラーク・ジョーンズ

トム・キャロル

ロニー・バーンズ

こんなすばらしいサーファーたちがピカピカのパイプラインを滑って、

ときには怒濤のようなバレルから飛び出してきていた。

時にマーチン・ポッターことポッツは、

ニューカマーの筆頭で、彼が乗ると、

岸に30台は立てられた三脚の上から、

けたたましいモータードライブのシャッター音が、

まるでオーケストラのように鳴るので、彼が乗ったことはすぐにわかった。

先日出会った怖い日本人写真家もいて、

ボクのことを見ると、気持ち悪いものを見るような顔で睨んでいる。

パイプラインは、

トリプルクラウンのトリであるパイプラインマスターズを控えていて、

毎日ものすごく混んでいた。

でもこの日は、かなり空いている、といっても30人くらいが入っていて、

もしかしたらボクにも乗れるかも、

いや「あの波に乗りたい」

そう感じ、さらに目に力を込めて波チェックしていった。

この波が上がるとは、

ラジオのブイ情報やみんなの話題で知っていたので、

最大サイズの7’6″ガンは車に入れてきていた。

相撲ではないが、

やがてボクの集中力が最大限まで達し、

“時間いっぱい”になったので、

車からボードを出してワックスを塗って、

しっかりと背筋をまっすぐにして歩き、

いつもの場所からパドルアウトしていった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この編、明日に続きます。
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Nation工場に、
サーフボード素材では基本となるブランクスが届いた。
シェイパーたちは、
これにそれぞれの理念を描いた曲線を刻むのだろう。
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それではまた明日ここで!
Have a super fun day!!
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